設計コンセプト

「東京タワーの感動」を建築におい求めたい

先日ひょんなことから田舎から来た知人を連れ東京タワーへ遊びに行きました。首都高速からの外観は見慣れていたが実際中へ入るのは今回が初めて、開業が昭和33年、高さ333m、当時は世界一『へぇ~』そんな凄いタワーを造り上げた人々がいたらしい。
しかし今や東京の街は超高層ビル群が建ち並び、展望施設としてのステイタスは僕の中でとうの昔に消え去っていた。「今さら東京タワーでなくても」「六本木ヒルズで買物でもどぉ?」"田舎者"の知人は何かに取り付かれたのか、「東京タワー」だと言張る・・・      

《まぁ、取り合えずしょうがないか》一階でまず券を買って中へ入ると人の多さにびっくり、修学旅行生や爺ちゃん婆ちゃん、家族連れ、はたまた外国人、観光スポットとしての人気は今でも健在のようだ。僕等も早速展望台へ。エレベーターホールの前でならんでいると40年以上前の古さはまったく感じることなく、恐らく何度となくリニューアルされたであろう内装は今風の基調で何の違和感もなかった。
5分程度待たされた後エレベーターに乗るとさすがに今の最新機種とは明らかに違う古さを感じた、原因は不明だが昇る途中ガタン、ガタンとミョ~な振動が起こる・・・「大丈夫かよ?」そんな不安をよそに揺ら揺ら、ゆっくり展望台まで昇ってゆく、ガラス張りのエレベーターから街並をぼんやり眺めているとタワーの骨組である複雑に入組んだヨレヨレの鉄骨がかわるがわる目の前を通過する。お世辞にもきれいな仕上がりとは言えない何度となく塗り直したペンキの跡、気の遠くなる程の鉄骨を支えるボルトの数々、正に命がけで組立て作業をした鳶さん達、当時はコンピューターが自動計算するような気の利いた代物はないであろう時代に建築されたタワー、「凄いなぁ」。展望台までのほんの2,3分間僕はエレベーターの中で、このプロジェクトに携わった人々の額に汗する姿を浮べ、人間くさい物語を想像し描いていた。そんな僕に東京タワーが話し掛けてきます。
「エレベーターが遅いだの揺れるだの、おまけにペンキの塗りむらがあるだの、何の不便がある。今の価値観で俺を見るなよ、お前が生まれる遥か前から東京の街にそびえ建ち、多くの人々を感動させてきた歴史を読み取ってくれ、展望台に着いたらゆっくりコーヒーでも飲んで秋の東京を満喫してくれ、いつだって素敵な街だよ東京は・・・」
そんなことを言っているようです。職業柄今までいろいろな建築を目の前にし、建築家が設計したその繊細な感性と頑なな主義主張の前に圧倒される事も多々ありました。しかし、東京タワーは数々の人達、物質、空気、時代背景、せつなさ、全てが僕に語りかけ、しっかりと感じさせてくれました。

近年建築に対するクライアントのニーズは年々高度化し機能、合理性、品質、安全、デザイン、コスト様々において100点満点を要求されます。人々のライフスタイルに対するディテールは建築家がいくらクライアントとのコミュニケーションをもってしても全てにおいて把握することは不可能だと思います。私は「東京タワーの感動」を建築に追い求めたいと思っているのだけれど・・・